私は魚が美味しい地域で育ちました。 大学で上京し、都内のスーパーで刺身を買ったとき、地元の魚がいかに美味しかったかを知りました。味が、鮮度が、全然違ったのです。上京したての若い頃ですから、舌もまだ肥えていません。それでもそのように大きな違いを感じたということは、やっぱり魚は地域差が出るのだと感じました。そして、小さい頃から実家でいろいろな魚をたくさん食べさせてもらえたことに感謝しました。 その後数年が経ち、親族の法事のため、両親と共に関東某所へ行く機会がありました。そこは港町として知られた場所で、親戚の家も海のすぐそばにありました。 法事ということもあり、親や親戚たちは準備のためあれこれと忙しく動き回っていました。私は当時20歳そこそこ。率先してあくせく動けるような経験と能力を持ち合わせておらず、みんなの邪魔にならないよう、できることをおとなしくこなしていました。 慣れない場所で慣れないことをしていたため、時間はあっという間に過ぎ、もう気づいたら夕飯、という時刻になっていました。親戚たちが「どうしよう?何も準備してないよ。テキトーに何か買ってこようか?ま、何もないと思うけど笑」と話しながら、代表者が車を走らせ、近所の商店まで買い物に行ってくれました。 「もう、こんなのしか残ってなかったよ笑。ホント何もないのね!しょうがないからこれみんなで食べよっか。」と、帰ってくるなり買い物袋から取り出されたのは、白い発泡スチロールのトレーに雑然と詰め込まれ、包装ラップもラベルも機械で対応したのか怪しいくらいテキトーな刺身でした。 白と銀色の身から、光り物であることはわかりました。ただし、スーパーで売っているような、キレイに切られた形はしていませんでした。その分、大量に入っていました。 「いわし。」 そう説明され、あまり美味しそうには見えなかったのですが、せっかく買ってきてくれたほぼ唯一のおかずであることから、少し醤油をつけ、ありがたく口に運びました。 一口噛んだ瞬間、私は目を3倍くらいに見開き、「なにこれ!」と叫びました。おとなしくしていた私の口から大声が出たことで、みんなが驚きました。 「いわし、こんなに美味しいの!?すごい、信じられない!食べたことないよこんないわし!さすが◯◯(市の名前)!」私は興奮しながら、このいわしが絶品であることを主張しまくりました。スーパーではない商店で、こんなにテキトーな見た目をした刺身が人生で一番美味しいとは。鮮度や風味がケタ違いだったのです。 私はこのとき、地元の魚の敗北を感じました。上には上がいる。漁師町には敵わない、と。 もうだいぶ昔の話ですが、今でもあのいわしに勝るいわしには出会えていません。 本日は13:30-18:30の出勤です。 よろしくお願いいたします! ☆千里/ちさと☆
先日人間ドックへ行ってきました。 受付を済ませると、まずは検査着に着替えることから始まるのですが、ここがいつも気になる最初のポイントです。 それは「乳首が目立つのではないか」という不安です。 女性はブラジャーを外し、完全ノーブラ状態にならなければなりません。 スポーツブラも着用禁止です。そのため、乳首が目立つかどうかは検査着のサイズと布地の厚さに頼るほかありません。私はゆったりしたLサイズを選択し、更衣室の鏡で何度も胸元をチェックしました。検査着は厚めに作られているため、目立つ感じはありませんでしたが、何らかの拍子に乳首が急激に立ってしまったらとの懸念があり、常に猫背の前傾気味という姿勢をキープしました。 そして次に気になるポイントとしては、バリウムです。 ほぼ毎年、担当の技師さんはちょっと変態的な雰囲気をお持ちの中年男性です(勝手な印象でスミマセンw)。 顔はニコニコしながら、ややねちっこい喋り方で「このバリウムが入ったコップを手に持って。そう、そしたら、ゴクン、ゴクン、と飲み干して。」と指示をされるのですが、まるで変態プレイをさせられているかのような錯覚に陥ります。 その後は台の上で技師さんの指示通りに身体を動かしていきます。「右周りに2回転、ゆっくりね」「そう、いいですよ」「次は、もっと左の腰を上げて」「もっと」「そう、そこでキープ」と、言われるがまま指示に従う私。まるでSMプレーです。終わった後は「よくがんばりましたね」とねぎらいの言葉をかけていただき、検査室を後にしました。 そして最後は、医師による乳房の触診です。 こちらは毎回、寡黙なおじいちゃん先生です。診察を開始する前、看護師さんが「こちらの男性医師が乳房の触診をしますが大丈夫ですか」的なことを聞いてきます。配慮の観点から必ず聞くのはわかるのですが、ご本人を目の前にして「それはちょっと」と拒否するのはなかなか難しいのでは…と毎回心の中で突っ込んでしまいます。 そしていざ、検査着を上に捲り上げると先生が「今から直接触りますからね。手にはパウダーをつけています。では触ります。」とわざわざ丁寧に説明をしてくださいます。あたたかくて大きな手が乳房に触れます。皮膚のベタベタ防止のため、先生の手にはパウダーがついており、触られてもサラサラです。痛みや違和感がないか、しこりがないかなどを診てもらい、終了です。 病院なので私も真面目にふるまっていますが、毎回結構おもしろいポイントが多く、こうして心の中でいろいろ思いながら受けています。 また来年も楽しみにしています。 本日は13:30-18:30の出勤予定です。 よろしくお願いいたします! ☆千里/ちさと☆
先日、渓谷に行きました。 自然公園を散策しながら鳥を探すのが好きな私は、今回の渓谷もその延長線上にあるものだと思っていました。 しかし、その甘い予想は見事に覆されました。 目の前に立ちはだかるのは無数の階段、崖、岩。 どうりで会う人会う人、ガチめの装備なわけだと、トレッキングポールを当たり前のようにお持ちの方々と挨拶を交わしながら思いました。 私もそこそこの格好で臨んでいたため(写真に映っているのは私です)、場違い感こそありませんでしたが、もう少しこの渓谷についての基礎知識を入れておくべきだと痛感しました。 川沿いの崖は、ロープやチェーンを掴んでよじ登るかたちで前に進みます。これはもはや散策ではなく、「登山では?」との思いでいっぱいでした。膝が弱い私は、いつ痛みが襲って来るかわからない恐怖とも戦い続けました。その道、10km。 階段、崖、岩、階段、崖、岩、を繰り返しているうち、気力も体力も奪われ始めました。この先がどんなルートになっているかもわからず、後の用事との兼ね合いで休憩する時間もなく、食事は朝しか食べておらず、さすがの私も疲れと不安で半泣き状態でした。 そんな時、鳥の囀りが聞こえてきました。疲労困憊中の私の前に現れたのは、憧れの鳥、ミソサザイでした。地味な色の小さな鳥ですが、美しい鳴き声で鳴きます。数年前に一瞬だけ見かけたことのある、私にとっては幻の鳥でした。そのミソサザイがかなり近くで鳴き、さらに私の目の前を飛び、また鳴いてを繰り返しました。彼らは人前にホイホイ出てくるような鳥ではないため、まさに奇跡でした。 私は感動して泣きました。双眼鏡が涙で曇ったのは初めてです。 そして幸いなことが続き、さきほど辛くて挫折しそうになったポイントはちょうど折り返し地点であることが判明。残りのルートは階段も崖も岩もない、平坦な道を歩くだけで済みました。 これが私が経験したなきの渓谷です。 疲労の泣き、鳥の鳴き、感動の泣き、全てが詰まっていました。 余談ですが、後日、別の渓谷にも行ってみました。そこはこぢんまりとして何の疲れも感じない、ゆるい感じの場所でした。 その物足りなさといったら・・・! こうして人は何かにハマっていくのだな、と実感中です。 本日は13:30-18:30の出勤予定です。 よろしくお願いいたします! ☆千里/ちさと☆
前回、私は小学生の時に音楽室でピアノを弾くのが好きだったという話を書きました。最初は、合唱の伴奏の自主練をするために始めたのがきっかけですが、昼休みの音楽室は本当に誰も来なかったため、そのうち合唱曲とは別の曲も自由に弾いたりしていました。誰もいない音楽室で一人ピアノを弾いていると、自分だけの空間を存分に堪能できて、なんだかオトナになったような気分だったのです。 今回のお話は、小学6年生の時のエピソードです。 学年が変わったことから、前回書いたアロエの音楽室とは別の音楽室を使っていました。その音楽室には、楽器や備品を保管しておく部屋が併設されており、音楽の先生の控え室的な役割も果たしていました。 ある時、いつものように私が昼休みの時間を使ってピアノを弾いていると、その併設された部屋から突然、音楽教師T先生が現れました。 私は驚き、考えました。 (無断で音楽室に立ち入り、無断でピアノを使用していることを注意しに来たのだろうか) (伴奏の練習だと言えば大丈夫だろうか) (怒られるかな) そう思っている間も、私はピアノを弾く手を止めませんでした。T先生も、演奏を続ける私に何も言ってくる様子はありません。顔も無表情です。そしてよく見ると、なぜかエレキギターを持っていました。 すると、T先生はおもむろに私のピアノに合わせてエレキギターを弾き始めたのです。 私は驚き、考えました。 (注意しに来たんじゃないんだ) (そもそもT先生私のこと知らないはず。接点ないし) (でもまさか、ギター弾いてくれるなんて) そう思っている間も、私たちのセッションは続きます。普段は無表情な先生が、ほんのりにこやかな表情を浮かべ、ノリノリでエレキを弾いています。 私は嬉しくて、普段よりもリズミカルに、アップテンポで弾きました。 「歌えバンバン」が、かっこいいロック曲のような仕上がりになりました。 ドキドキと楽しさと爽快感で満たされました。 演奏が終わると、先生は一言もしゃべらず控え室へ戻って行きました。私も音楽室を後にし、教室へ戻りました。 このような秘密のセッションをたまにしていた私とT先生ですが、最後の最後まで、一言もしゃべることはありませんでした。 (いつも突然現れ、無言で去って行きました) 先生は音楽教師でクラスも受け持っていましたが、私とは学年も全く違っており、授業を担当してもらったこともありませんでした。 細身で色が白く、無表情で暗い感じの男性で、音楽の先生には全然見えないタイプでした。「普段授業の時やクラスにいる時は、どんな感じなんだろう?みんなと普通にしゃべったりするのかな?」と子どもながらに思っていたほどです。でも先生は全校行事のテーマソングを作ってしまうほどの音楽家であることは知っていました。その曲もやはりロックでした。 大人になった今思えば、寡黙で異端な教師でありながら、情熱的なロッカーでもあったT先生。せっかくなら一言くらい話をすればよかったと思う気持ちと、言葉はなくとも繋がっていたという気持ちとが今でも交錯しています。 本日は13:30-18:30の出勤予定です。 よろしくお願いいたします! 今だったらたぶん惚れてる ☆千里/ちさと☆
私の一番の苦い思い出は、アロエです。 あれは小学4-5年生くらいの頃でした。 当時ピアノが得意だった私は、休み時間に誰もいない音楽室へ入り、一人でピアノを弾くのが趣味でした。 その日もひとしきり弾き終えた後、窓から音楽室の外を見ると、花壇に雑然と植物が生えていました。今で言うガーデニングという概念があまりない時代だからなのか、学校という場所柄なのか、きちんと手入れされている様子はありませんでした。なにせ出身小学校はマンモス校で、敷地が広大だったため、花壇ひとつひとつを管理すること自体、無理があったのかもしれません。 そんな花壇の中に、アロエが大量に生えていました。 オマセだった私は、アロエが美容や健康に良いことを知っていました。傷ややけどには直接塗ると治るとか、アロエヨーグルトは美味しいとか、ある程度の知識を持っているつもりでした。 そして何を思ったのか、「自然に生えているアロエを食べればきっと効果が高いはず!」と考えた私は音楽室を出て、アロエの生えている花壇まで行きました。 必要なのは、アロエの果肉。 私はできるだけ果肉がたくさん入っていそうな太いアロエを1本選び、折りました。固い緑色の外皮の中には、透明でみずみずしい果肉が詰まっていました。「これが天然のアロエか・・・!この果肉を摂取すればキレイになれるかしら・・・」と乙女心全開だった私は、折った部分を直接舐めてみました。 「・・・苦っっっ!!」 そうです。キレイになれるはずのアロエは、とてつもなく苦かったのです。 前述の通り私はその時一人で、人もあまり来ない場所でしたので、衝撃的な苦さについて誰にも共有できませんでした。 しかも花壇の植物を折るという背徳行為をしてしまったことや、アロエを舐めるという不審行動をしてしまった後ろめたさから、教室に戻ってからも誰にも言えませんでした。 そこから私は学びました。 アロエは直接食べるものではないことを。 これが私の一番苦い思い出です笑 本日は13:00-18:00の出勤予定です。 よろしくお願いいたします! 今でもアロエは好き ☆千里/ちさと☆
駅で靴が壊れたエピソード2回目です。 これはそんなに昔の話ではなく、ちょっと前の出来事です。 その日も早朝に駅構内を歩いていた私は、靴の先が少しつっかかったと思った瞬間、 「ベリィッ!」 と音がし、靴の底面と上部(足の甲側)とが分離しかけました。 今回はかろうじてくっついている部分が残っていたため、補強さえできれば職場まで歩いて行けそうな状態でした。しかし、靴屋も靴修理のお店も開いていない時間帯です。このまま歩くと、分離しかけた部分が足を踏み出すたびにパカパカとなってしまい、非常に歩きづらい状態でした。 セロテープかガムテープでもあれば、分離した部分をぐるぐる巻きにして歩行は可能かと思われました。 そのとき、私の目の前には交番がありました。 私は第1回目のエピソードと同様、焦っていたため、交番に入るやいなや「すみません、あの、」 と話しかけました。すると相手は、 「靴ですか?」 との間髪入れない素早い返答。さすがは警察官です。 「見てましたよ。大丈夫ですか?」 「はい、こんな状態になってしまって。テープか何かで補強させてもらえれば、職場は歩いて数分なので、なんとかたどり着けそうなんですが」 と相談していると、奥からも数名の警察官が出てきました。 「なんだ?」 「どうした?」 「これは大変だ!」 「どう直すべきか?」 「セロテープはあるか?」 「ガムテープはないか?」 「どこかにはあったはずだが」 「あっちにはないか?」 「もっといい方法はないか?」 とお巡りさんたちがあっちに行ったりこっちに行ったり、交番内がてんやわんや状態になりました(笑) 結局ガムテープは見つからず、セロテープをぐるぐる巻きにして補強させてもらいました。 靴が壊れただけの成人1名のために、交番内の全警察官がこんなにも親身になってくれるとは思ってもみなかったです。 あのときの交番の皆さま、本当にありがとうございました。 このように、私の情けないトラブルの2回とも、見ず知らずの方々の優しさに助けられました。人に恵まれた環境で生きていることに心より感謝いたします。 本日は13:30-18:30の出勤予定です。 よろしくお願いいたします! 安い靴には限界があることを痛感 ☆千里/ちさと☆
私は人生で2回、駅で靴が壊れたことがあります。 1回目は20代の頃。 駅の階段を上っている時、靴の先が少しつっかかったと思った瞬間 「ベリィッ!」 と音がし、右足の靴の底面と上部(足の甲側)とが分離しました。完全に分離したものですから、当然履いていられる状態ではありませんでした。その上、早朝だったため、靴屋も靴修理のお店も開いていませんでした。ここは乗り換え駅で、あともう1路線乗らなければならず、遅れるわけにはいかない仕事が入っていたこともあったため、私には時間がありませんでした。 焦った私はとにかく誰かに助けを求めようと、あろうことか靴とは全く関係のない駅ナカのカフェに入るやいなや、 「すみません、靴が壊れてしまって、こんな状態なんですけど、仕事に行かなくてはならなくて」 と、店員さんに壊れた靴を見せながら自分の窮状を伝えました。そう、無茶振りです。相手はカフェの店員さんですから、そんなことを言われても、同情するくらいしかできないと思うのですが、このカフェ店員さんは違いました。 「バックヤードに私のスニーカーがある。予備の靴だからそれ履けばどう!?」 と神がかった提案をすぐにしてくれました。無茶振りしたのは私の方ですが、その素晴らしすぎる提案に最初は気が引けてしまい、「いやいや、でも、見ず知らずの私に靴を貸してくださるなんて」とお断りしようと思ったのですが、方法はもうそれしかありませんでした。時間もなかったため意を決し、 「すみません、ありがとうございます!お言葉に甘えてお借りします!あとで新しい靴を買います!◯時頃になるかと思いますが、必ずお返しします!」 と伝え、見ず知らずのお姉さんのスニーカーを履いて仕事へ向かいました。 そしてその日、仕事は無事に終えることができ、新しい靴も買いました。(上司に言ったら大笑いされ、仕事中に買いに行かせてくれました笑) 私はせめてものお詫びにと借りたスニーカーを除菌消臭しまくり、お礼の菓子折りとメッセージカードを持ってそのカフェに向かいました。 「いらっしゃいませ。店内ご利用ですか?」 「あ、いえ、すみません、今朝、こちらで靴をお借りした者なんですが」 「えっ(困惑)!?あ、し、少々お待ちください!」 カフェなのに、靴から始まり靴で終わるこのやりとりが今思えばとてもおかしいのですが、その後、スニーカーを貸してくれたお姉さんへお詫びとお礼をとにかく何度も伝え、店を後にしました。 だいぶ昔の話ですが、今でも鮮明に覚えています。 あのときの店員さん、本当にありがとうございました。 頼りになる素敵なお姉さんでした。 2回目のエピソードは次回にいたします。 本日は13:30-18:30 の出勤予定です。 よろしくお願いいたします! ☆千里/ちさと☆
4/28で、私がこのお店に来てから1年が経ちました。 以前勤めていたお店の閉業により、バタバタの中入店させていただいたのがつい最近のことのように感じます。 こちらで初めてお会いしたお客様や、以前のお店、そしてもっと前の池袋時代からのお客様、たくさんの方々に支えられて参りました。 いつも本当にありがとうございます。 スタッフの皆さまも、入店時何もわからない状態の私にいろいろ教えてくださり、今も変わらず優しく接していただけて感謝しております。 これからも皆さまに安心と笑顔をお届けできるよう、元気にがんばります! 引き続き仲良くしてくださいね(人*´∀`)。*゚+ 本日は13:30-18:30の出勤予定です。 よろしくお願いいたします。 アネージュに幸あれ♪ ☆千里/ちさと☆
先日、近所で三つ巴を見ました。 と言っても人間の三つ巴ではなく、ハト・ムクドリ・スズメの三者です。 やや遠目からだったため、はっきりとは見えませんでしたが、どうやら地面に焼きおにぎり(?)のようなものが落ちており、最初のうちはハトが一心についばんでいました。その後、数羽のムクドリがそれをちょいちょい横取りしに行っているのが見えました。この時点ではハトvsムクドリという二者間対決なのですが、なぜか次第にムクドリ同士が同族バトルを始め、ハトvsムクドリ、ムクドリvsムクドリと、しっちゃかめっちゃかな状況になっていました。 そして、その様子を一羽のスズメが少し離れた所からじっと観察していました。「あ、この子も狙ってるんだな」と思った次の瞬間、体の小さなスズメがたった一羽その中に飛び込んで行き、隙をついて焼きおにぎりをゲット!周囲に散らばっているおにぎりの中で、一番大きな塊を咥えて飛んでいきました。 結局この三つ巴は、最も小さな体で最も冷静な判断をしたスズメの勝利でした。 見ていた私は大興奮。いい瞬間を目の当たりにできて嬉しかったです。 それにしてもこのスズメ、人間で言えば、運動会のパン食い競争で50mを3秒くらいで走り、スイカほどの大きさの巨大パンにかぶりついて走り去っていくようなものかと(笑)そう考えると超人的すぎて笑えてきます! 本日は13:00-18:00の出勤予定です。 よろしくお願いいたします♪ ☆千里/ちさと☆
私は小学生の頃、ピンクのランドセルでした。 まだ、女の子は赤、男の子は黒が当たり前の時代でした。 入学前に家族でランドセルを買いに行った際、当時ピンク色が好きだった私は、迷わずピンクのランドセルを選びました。 校則上、特に決まりがあったわけでもないため両親も快く承諾し(当時の記憶ですが)、入学式が来るのを楽しみにしていました。 そして入学式当日、1学年200名のマンモス校ということもあり、私たちは外の決められた場所に一旦ぎゅうぎゅうに整列させられ、次の指示を待っていました。 その時、近くにいた女の子が私のランドセルを見て、「あっ、ピンクー!いけないんだ〜」と言ってきました。 私はその時幼いながらも、色の指定はないこと、指定があるならそもそも両親が承認しないこと、それなら私自身も選ばないこと、これらの情報を集結させ「禁止はされていないため、問題ない」といった趣旨のことをその女の子に言い返しました。 別に、嫌なことを言われたという感覚はなく「マイナーなものに対してそういった認識をするのが“普通”なんだなぁ」という、実感めいた感覚でした。もちろんまだ小さかったため、こんなに言語化して考えることはできませんでしたが、初めてそういう実感を持ち、社会を知った瞬間でした。 今はデパートへ行くと、色もデザインも多種多様なランドセルがたくさん並んでいます。パステルカラーでキラキラの飾りがついたものなど、当時の私だったら垂涎ものです(笑)。もしくは、ダークブラウンなどで大人っぽいデザインのものは、カッコいいので今でも欲しいくらいです。こうした売り場へ行くとつい、童心の私と今の私が一斉にランドセル選びを始めてしまいます。 時代が変わればランドセルひとつとっても、考え方や選択肢が増えていくんですね。 そして結局、ピンクのランドセルを使っていたのは私を含め全校で2人だけでした。しかしなんと、入学してから1学年上に黄色のランドセルを使用している先輩がいるのを発見し、「上には上がいる」「ちょっと安心」という新しい感覚も覚え始めたのでした(笑) 本日は13:00-18:00の出勤予定です。 よろしくお願いいたします♪ ☆千里/ちさと☆